団長挨拶
3月11日の東日本大震災は、死者1万5千人以上、行方不明者8千人以上という大災害でした。私は、あの津波の様子をテレビでみて、茫然自失、しばらくは、人間の無力さを思い、やる気を失いました。それでも、多くの被災者が力強く頑張っている姿をみて、また、精一杯働いている多くの支援者の姿をみて、自分にやれることを力一杯やっていこうと思いなおしました。自分にやれることは、弁護士としての活動しかありません。そのように思い始めた4月半ば、静岡県弁護士会の昨年度の静岡、沼津、浜松の3人の幹事長さんから、浜岡原発の停止を求める仮処分申請をしたい、協力してほしいとの要請がありました。そういう経過で、私は、今回の訴訟の静岡県内の弁護士による弁護団の団長となっています。つまり、私は、これまで、多くの皆様に比べて意識が低い弁護士だったことを告白します。
私は、浜岡原子力発電所が東海地震の予想震源地の真上にあるから危険だとの見解に対しては、危険ではあるけれど、何重にも安全措置を施してあるから安全だとの中部電力の説明を信じていました。国の厳重な審査によって設置が認められたのだから安全だろうと信じてきました。日本の技術力は優れているから、スリーマイル島やチェルノブイリのような事故は絶対に起こらないという専門家の話を信じてきました。
今、私は、原発の安全神話を信じていた私の不明を恥じています。
「止める」、「冷やす」、「閉じ込める」という3段階のどれについても、日本のような地震が多いところでは、予定どおりにできない可能性が高いのだということが今回の福島第一原子力発電所の大変な事故で分かりました。発電所なのに電気がなくて冷やせないというのです。何重にも安全対策がとられているはずなのに、津波だけであのような惨状になってしまったと最初の説明でした。津波のせいだけではなく、その前の当初の地震によって原子炉や配管が損傷していたのではないかとの指摘がなされています。たぶん、そうだったのでしょう。放射能が強すぎて近くに誰も行けませんので、損傷の本当の経過や実態は、今後も分からないかも知れません。それでも炉心溶融(メルトダウン)が地震・津波の直後に起きていたことは、東京電力も認めました。メルトダウンが起きていたのに、水蒸気爆発が起こらなかったことは奇跡的なことと言います。溶融した核燃料が水に触れれば、大規模な水蒸気爆発を起こします。そうなれば、原子炉が破壊され、多量の放射性物質がまき散らされます。近くの土地には何十年も住めなくなります。もし、浜岡原発で同じような事故が起きれば、静岡県はもとより、東京も名古屋も、人が住めない土地になってしまいます。そのような本当に危険な施設が原子力発電所であるということが、やっと、私に分かってきました。
国の審査では、千年に1度起きることを想定からはずしていたということになります。起きてほしくないことは起こらないことにしようというのです。そんなことが科学的だというのです。とんでもないことです。
2007年10月26日、浜岡原発の運転差止訴訟の静岡地方裁判所での原告の請求を棄却する判決があったとき、石橋克彦さんは、「判決の間違いは自然が証明するだろうが、そのときは私たちが大変な目に遭っているおそれが強い。」と言ったそうです。福島第一原子力発電所の今回の事故が、静岡地裁の判決の間違いを証明しました。静岡地裁は「原告らが主張するようなシュラウドの分離、複数の再循環配管破断の同時発生、複数の主蒸気管の同時破断、停電時非常用ディーゼル発電機の2台同時起動失敗等の複数同時故障を想定する必要はない。」としたのです。福島の事故を見れば、複数同時故障を想定しなければならないことは明らかです。
福島第一原発の事故の状況は、まさに「原発震災」です。未だに終息の見込みがありません。「止める」「冷やす」「閉じ込める」ための何重もの安全設計がなされていたはずなのに、地震そのもので、1号機では「冷やす」機能が、2号機では「閉じ込める」機能が失われています。津波だけが事故の原因ではないことが明らかになってきました。原子力の安全神話は、単なる神話に過ぎなかったことが明らかになりました。
福島第一原発は、2006年に改訂された「耐震設計審査指針」に基づく耐震診断(バックチェック)がなされ、2009年に国が安全だとしていました。それでも、今回の事故が起きました。浜岡原発ではまだバックチェックがなされていません。2009年8月11日の駿河湾地震では浜岡原発の5号機で1階東西方向で488ガルもの大きな加速度を観測したといいます。すると、東海地震では、どの位の大きさの揺れを想定しなければならないのでしょうか。事故が起きてから「想定外」ということはいい訳にはなりません。どんなことが起きうるかを想定しなければなりません。マグニチュード9クラスの地震を想定しなければなりません。それを想定したら、もう、安全な原子力発電所は作れないはずです。
福島第一原発の事故は、当初、津波で全電源が失われ冷却できなくなったことが原因だと言われていました。そこで、静岡県弁護士会の数名の弁護士が浜岡原発の現況を改めて調査しました。浜岡原発と海との間の砂丘は、高さが8mくらいのところもあり、原発の周囲が砂丘に囲まれていないことが分かりました。原発の敷地の両側にある川を津波が遡上したときは、両側から津波が原発の敷地に流入するだろうと想像できました。高さが10~15mの自然の砂丘が前面にあるから大丈夫だという中部電力の説明は正しくありません。さらに、自然の砂丘ではなく昭和30年代に造られた人工的なものである可能性がありました。また、原発の西側にある新野川が以前は、ずっと東側にあり、1,2号炉のすぐ前を通っていたことも分かりました。昔の河川敷と砂浜ですから地震の際には液状化することも予想されます。液状化すれば、配管が破断することも予想されます。
東海地震の発生は確実なのだから、県民の生命、財産を守るためには、直ちに浜岡原発の運転を停止させなければならないと私たちは考えました。県内の弁護士に呼び掛けたところ、100を名越える弁護士が弁護団に入ることを表明してくれました。東京高裁で審理中の事件の原告の方々やその弁護団の方々の協力をえながら仮処分申請を準備していたところ、政府(菅総理大臣)は、5月6日に中部電力に対し全ての号機の運転停止を求めました。これを受けて、中部電力は、5月9日、運転停止を受け入れました。中部電力のこの決断は、住民の安全、安心を最重視したものとして高く評価します。しかし、中部電力が明らかにしている津波対策は、高さ15mの防潮堤を設置するとか、非常用電源を高いところに設置するといった程度のもので、全く不十分です。中途半端な防潮堤は、かえって危険です。津波で水没したままになるだけです。
中部電力は、防潮堤を造った後、運転再開をめざすという姿勢です。しかし、東海地震が起こることが確実な状況での運転再開を許す訳にはいきません。今回の弁護団は、当初、運転差止の仮処分申請をするということで結集しました。中部電力が政府の要請を受けて全号機の運転を停止したことから、仮処分申請については、当面、必要がなくかったと考えています。しかし、中部電力が運転再開をめざすのであれば、全号機の廃止を求めて本訴を提起するしかありません。また、中部電力が廃炉を決めている1,2号機についての工程表では、2036年までかかるといいます。その間、使用済みの核燃料が浜岡の原発敷地内に残されているのです。使用済みの核燃料は熱を発し続けます。安全に保管するには冷却し続けなければなりません。従って、使用済みの核燃料の安全な冷却保管も求めなければなりません。本当は、そんな危険なものならば、浜岡の地から他の場所に持っていってもらいたいのですが、危険なものだけに何処にも持っていけないのです。
そして、廃炉とする場合でも、その仕方に注文があります。放射能を帯びた廃棄物の処理がとても困難です。原子炉建屋を解体することによって、多くの放射性物質が広くまき散らされるおそれがあります。従って、建屋を解体することなく、コンクリートで覆うなどして廃炉にするのが適当ではないでしょうか。この部分については、更なる考察が必要でしょう。
さて、政府の方針は、また、いつ変わるか分かりません。強硬な原発推進論者が政権をとるかもしれません。政治に期待することは危険です。もう、政治に期待することはできません。最終的に国民の権利を守るのは司法しかありません。私たちは弁護士です。自分を含めた国民、住民の権利を守ることが使命です。そのような意味で、私たちは、浜岡原子力発電所の運転終了、そして、終了後の核燃料の安全な冷却保管を求める訴訟を提起したいと考えています。
原子炉立地審査指針というものが昭和39年(1964年)に決められています。それには、原子炉の立地条件として
「大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと。また、災害を拡大するような事象も少ないこと」が原則として必要であると決められています。
浜岡は、原子炉の立地条件に合致しないのは明らかです。
皆様と一緒になって、日本で一番危険な浜岡原子力発電所を廃止させたいと思います。どうぞ力をお貸しください。そして一緒に目的を達成しましょう。
2011年6月26日
弁護士 鈴木 敏弘